Zannu blog

カルトを信じる親のもとに生まれ、虐待や不登校、イジメ、高校中退などを経験しました。現在、その宗教を辞め、自分の生き方を模索しています。その過程を書いていければと思っています。

【短編】『長い旅立ちの前には』

 

私は世界を旅する彼からの葉書(ハガキ)を待っている。

 

彼からの葉書が届いた。バルト海の美しい港町が映し出されている。

彼は世界中を旅していて、街町のきれいだったり、めずらしい風景の葉書を送ってくれる。

数日に一回、時には数週間に一回、彼からの葉書が届く。だから、会えなくても、寂しいけれど、彼の想いを感じることができた。

彼は一度旅に出てしまうと、長い間帰ってこない。「世界の描写だったり、人のこころだったりを求め、理解するには、時間と孤独が必要なんだ」と良く語っていた。

バルト海の葉書には、あるおじいさんとおばあさんのことが書いてあった。

そして、めずらしく「愛している」と、葉書の最後に綴って。


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「愛している」
僕は、そう言って旅立つ時に、彼女に言うんだ。

僕はシャイだから、そんなに率直に、いつもは彼女に想いを伝えることはないんだけど、長い旅立ちの前には、次いつ会えるかわからないから、いや、もしかしたらもう会えなくなってしまうかもしれないから、僕は勇気を出して言うんだ。

一度旅に出ると、僕は数年、短くても半年は彼女のもとに帰らない。

僕は世界中を周って来た。常夏の太陽が照りつく南国も、極寒の氷河が迫る北国も、僕は、訪れる土地土地の事を、ノートに記し、出会う人々との、一言一言を胸に焼き付けていった。

「冒険」というには、もうこの地球は、人に歩き尽くされてしまったかもしれない。それでも僕は、人間の内面を知るために、様々な場所場所を巡り歩いていった。

 

あるとき、古い家に住む、老夫婦のところに泊まった。その家はバルト海に面した美しい港町沿いにあって、海の話をしている内に、僕はそのおじいさんの家に行くことになった。

おじいさんは、50年以上漁師をしている人で、変わりゆく時代の中で、変わることのない海や夕日を、長年、眺めていた。

おじいさんは寡黙な人で、自分のことは、あまりしゃべりたがらなかったけれど、なぜか、僕とおじいさんとは言葉以上につながりあうものがあった。

数日間、僕はその老夫婦の家に泊まり、その間、おじいさんの漁を手伝った。


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別の町に旅立つ前日、僕とおじいさんが最後の漁を終えて帰ると、おばあさんが特別な料理を用意して待っていた。おじいさんが遠くへ行くとき、いつもつくるのだという。

料理を食べながら、おばあさんはある日の思い出を話してくれた。おじいさんが始めて、おばあさんに愛の言葉を伝えた日のことを。

 

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バルト海には季節の変わり目に、時折、大きな嵐が吹き荒れる。漁師の中には、突然の嵐に巻き込まれ、姿を消す者もいた。

おじいさんがまだ若い時、港によった異邦の船乗りが、海の上で姿を消した。他の漁師たちは、その者が嵐に巻き込まれて死んのだと話したが、おじいさんだけは、その異邦人が、どこかの島に流れ着いたかもしれないと言って、生きていることを信じた。


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消えた船乗りを、探しに行こうとするおじいさんに、皆が反対し、若い日のおばあさんが歩み寄った。

なぜ、見も知らぬ人を助けに行くのかと、聴かれたおじいさんは、静かに「海の話をしたからだ」と答えた。

納得できず、黙っているおばあさんに対して、おじいさんは続けた
「愛している」と。

おばあさんは突然のことで驚いた。しかし、その言葉を聞いて、彼女は彼を待つ事を決めたのだった。

それからおじいさんは、十日以上、帰って来なかった。

数週間が経って、皆が絶望しはじめた日暮れ時、おじいさんと異邦人を乗せた舟が、暗くなってゆく港に辿り着いたのだった。

 

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それからも、時代は流れ、多くの出来事があった。

しかし、国が荒れ戦争に行くとき、不漁が続き出稼ぎに出るとき、おじいさんは遠くへ行くとき、必ず「愛している」とおばあさんに告げるのだった。

 

僕はおばあさんの話を聞きながら、照れくさそうにしているおじいさんを見て、僕も旅立ちの前には、彼女に同じ言葉を伝えるのだと言った。


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彼からの葉書はこうして綴られていた。私はそれを読み終えると外に出て、夕日を眺めていた。その空は、彼が私に、愛の言葉を伝えてくれるときのように、恥ずかしそうに赤く、少しはにかんでいるように見えた。

 

「愛している」という彼の声が、私の耳元にそっと聞こえた。