Zannu blog

カルトを信じる親のもとに生まれ、虐待や不登校、イジメ、高校中退などを経験しました。現在、その宗教を辞め、自分の生き方を模索しています。その過程を書いていければと思っています。

【旅】旅する元不登校 スペイン、900キロの巡礼  カミーノ・デ・サンティアゴ

 記憶は美化されるのだろうか。スペインの北部にある、900キロにも渡る道のりを、40日かけて横断した。その旅は2月の中頃始まり、山道にはまだ雪が多く残っていた。雨の日も、風の日も、そして太陽が照りつく暑い日も、とにかく前へ前へ、目的地である、サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指して歩き続けた。


 毎日、20キロから30キロの道のりを歩き、体が石のように動かない日も、異国の地で孤独を感じ、寂しさから涙を流す時もあった。


 しかし、そこでの一瞬一瞬が、一つ一つの出会いが、今思い返すと美しく、心の中で輝いている。これは人の記憶が成す悪戯な幻想なのだろうか。

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「カミーノ」の道のり
 カミーノ•デ•サンティアゴ(サンティアゴの道)は世界的に有名なキリスト教の巡礼地であり、バチカンエルサレムとならんで、その三大聖地の一つである。そしてまた、そこはキリスト教の聖地であるが、人種、国籍、宗教を超えて、一年中、多くの人によって巡礼されている。


 僕がその巡礼の道を知ったのは、グアテマラを旅している時、森知子さんと言う作家さんと、たまたま宿が一緒だったことからだ。彼女は『カミーノ!女ひとりスペイン巡礼、900キロ徒歩の旅』(幻冬舎文庫)という本を書いており、彼女の話を聴いて、いつか自分もその道を歩きたいと思った。


 その出逢いから数年経って、年齢的に少し遅い大学入学が決まり、1ヶ月ちょっとの時間ができた。その時ふと「カミーノ」を歩きたいという想いに駆られ、その1週間後には日本を旅立っていた。

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僕が歩いた、スペイン北部のルート
 まず最初は飛行機でフランス南西部のボルドーに向い、そこからさらに、スペイン近くのサン•ジャン•ピエ•ド•ポーという町に行き旅を始めた。


 そこでクレデンシャル(巡礼手帳)という、カミーノ沿いの街町のスタンプが押される冊子をもらった。これがあると、その町のアルベルゲという巡礼者用の安い宿に泊まることができる。

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実際のクレデンシャル。冊子に町々のスランプが押された
 カミーノでは本当に色々な人たちと出逢った。最初のアルベルゲでは、スペイン、イタリア、ポーランド、ドイツ、またクレデンシャルをくれたオフィスの女性はアメリカ出身でボランティアをしていた。


 あとで数えてみても、出逢った人たちの国籍だけで15カ国はこえていた。


 そしてまた、皆色々な想いを抱えていた。


 今まで仕事一心だった生活を捨て、この旅に来たブラジル人の女性、奥さんと離婚したいが、子供の事で悩むコロンビア人男性、大学を卒業し、これからの進路に悩むカナダ人の女の子二人組。


 初老のスイス人のおじさんは、奥さんが亡くなったことがキッカケで、スイスの自宅から、毎年、2週間の休みをとって巡礼を続けていた。カミーノの歩みは彼の心を救ったとも語っていた。

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目的地サンティアゴ・デ・コンポステーラと、道しるべとなる黄色い矢印
 カミーノには、目的地コンポステーラに続くいくつもの黄色い矢印がある。巡礼者たちは、それを道しるべに長い道のりを歩いていく。900キロの道は途方も無いように思えるが、人によっては自転車を使ったり、途中でバスや電車に乗ったり、もっと短い場所から始めることもでき、逆にさらに遠く、ローマのバチカンからも、スタートすることが出来る。


 僕の場合はスペインのルートを、全て徒歩で横断したが、別にそれに特別なルールがあった訳では無かった。


 カミーノで最も心に残ったのはルーマニア人、ポールとの出逢いであった。彼は、長い間、一緒に連添ったパートナーと別れ、これからの人生を模索していた。彼とはカミーノを始めて5日目ぐらいに会ったのだが、その時の僕は肉体的にも精神的にも疲れていた。スペインに行く前の僕の状態を言えば、精神的にはひきこもりに近く、人と少し会うだけでもかなりのストレスや疲れを感じていた。


 それで良く海外に行けたと思うかもしれないが、ソトこもりと言って、日本での現実に対処できないから海外に出て行く様な状態であった。


 ポールと会った時も、他の人たちが少しずつ巡礼者同士でグループをつくっていく中、どこか居づらさを感じ、グループから離れたいという想いを持ち始めていた。


 また最初に彼と会った時は、どこ出身なのか、カミーノは初めてかなど、当たり障りのない会話をした。


 そして、翌日には彼とも別れ、ひとり、次の町に向かった。


 しかし何回か彼と違う町で会い、ある日一緒に夕食をとることになった。そこで自分が寂しいこと、孤独感を抱いていることを彼に話した。彼は良く聴いてくれた。そしてゆっくりと彼自身のことも話してくれた。「私はルーマニア人だがドイツで育った。彼らとは外見も違い、若い頃、孤独を感じ怒りを覚えることもあった。」しかし大丈夫だと語り、そして続ける。「君は戦士だ。戦士はその先が恐ければ恐いほど、そこに向かって進んで行くんだ。」


 彼は孤独から逃げてはいけないと、僕に伝えたんだ。

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勇気を与えてくれたポール(右)との写真、(左)僕
 それは僕にとって運命的な言葉だった。もちろん、その言葉を聴いて孤独感が無くなった訳じゃない。辛さが消えた訳でもない。しかしその言葉が、それからの僕の歩みを、そして今に至るまでの人生すらも、支えてくれている。


 クレデンシャルのスタンプは日に日にたまっていった。終わりがない様に思えたカミーノも、ゴールまで少しずつ近付いていった。


 巡礼の目的地であるサンティアゴ・デ・コンポステーラについた時、僕の想いは感動というよりも「ああ、着いたのか」という程にあっけないものだった。しかしその想いは、もうすでに多くのものを、そのカミーノの巡礼から受け取っていたからだったかもしれない。


 それからまた数日歩き、スペインの一番西、大西洋が見えるフィニステラ(最果ての地)にたどり着いた。そこでの夕陽が、この旅の本当の終わりを告げた。

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フィニステラ(最果ての地)の夕陽
 日本に帰ってから、僕は大学に通い始めた。緊張はあった。やっていけるか心配でもあった。しかし、僕には帰れる想い出があった。それは、異国の地で孤独と闘った想い出、そしてその中でも一人でない事を教え、勇気を与えてくれた人たちとの想い出だった。


 サンティアゴ・デ・コンポステーラについた日、それまで一緒にカミーノを歩いてきた、ブラジル人の友人と再開した。彼女とは旅の都合から途中で別れたのだが、コンポステーラでまた会うことができた。次の日には飛行機でブラジルに帰るという。別れの際にカミーノのシンボルである貝のお土産をもらった。その裏にはBUEN CAMINO IN YOUR LIFE!(あなたの人生に幸運なカミーノがありますように!)というメッセージが刻んであった。


 そう、僕らの人生はこの巡礼が終わっても続いて行く。カミーノは僕らが生きている限り進んで行かなければならない「道」なのだ。





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ブラジルの友人からもらった貝のお土産
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裏にはメッセージが刻まれている