旅への情熱が、心の中で疼く。
旅への情熱が、心の中で疼きます。
自分が何者なのか、何をすべきなのか、やはり何も分かりません。ただ落ち着かなくて、心が外へと飛び出したくて、自由を求めて羽ばたきたいと必死で訴えて来るんです。
分からない。
先週は、今バイトでやっているウェブメディアの取材でレバノンまで行きました。本当にキツイものでしたが、しかし楽しかった。自由に出来た気がして、レバノンに行く前とか、ものすごく悶々としていて、ベトナムに旅しに行こうかと、とにかく何処かへ羽ばたこうと考えてました。
レバノンに行った時は、毎日が全力で、頑張るしかなくて、自分のやれる事をやって来たけれど、一週間たって、日本に帰って来て、また、悶々とし始めちゃって、どうしようって思っちゃうんです。
もう明日にでもまたどっかに行きたい。次はベトナムかなって思ってしまう。お金とか、時間とか、年齢の問題とか色々あるけれど、でもそれってどんどんやって行かないと遅れていくし、気がついたらもう手を暮れになりかねない。
それだったら自分の想うままの人生、それが出来る「今の内」にやらないと、と感じるんです。
ダメならダメで、会社をクビになったらクビになったでいいと思うんです。交換留学だって、縛られて学校のシステムの中でいるのは俺は嫌だって、迷いながらだけど考えています。
今は勇気が必要だけれど、勇気があれば色んな事が出来てしまう。勇気を出して一歩進めば、違う人生が開ける気がします。
何か、言葉に、文章になっていないけれど、自分の中のエネルギーが、今、同仕様もなく弾けようと疼いている、そんな感じがするんです。
海外に行きたいけれど、、
先週、交換留学の志願書を大学に出してきた。4年生、25歳。まだ学部生だから、相当、年齢的には遅れている。正直、色んな迷いがあるし、まだ行けるか、実際、行くかもわからない。
だけど、何かを決めなくちゃいけないんだ。人生は、進まないと、ただ時間が過ぎていくだけだ。
僕は、正直、あまり日本にはいたくない。もっと広い世界を見たい。もっと色んな場所を旅したい。
その為の手段の1つが、今の大学の留学なんだ。
良い事ばかりじゃないよ。実を言うと、2年前から、交換留学には申し込んでいた。面接だって受かってきた。でも、行かなかった。語学ができない訳ではない。行くための条件は揃っていた。けど、自信が無かった。もっと言えば、精神的に不安定なんだ。だから、踏み出せなかった。
今回だって、不安があり、どっちかと言えば行きたくない。でも、もう大学4年になって、これが最後のチャンスだ。先の事を考えても、いずれは、いや、出来るなら20代の残りの時間をヨーロッパで過ごしたい。
そう考えると、今の自分にできる手段の中で 、やれる事は、この交換留学がいいのではと思って、資金だって国から、幾らか貰えるかもしれない。
本当に行けるか、行くかもわからない。だけど、考えなければ。いずれにしろ、何かを決めなければ。
今はある意味、僕にとって、人生の大きな岐路なんだ。
生きる意味に想いを馳せて
生きていること
別に自分で決めて生まれてきたわけではない
別に自分で望んで生きているわけでもない
勝手に産まされて、勝手に生きさせられて、それでも自分の人生に責任を負わされて
楽しかったり、幸せなことが多い人生なら、まだ、いいかもしれないけれど、じゃあ苦しみや悲しみの多い生はどうすれば
だれも自分の運命を決められないし、生き方だって、多くの制限の中で選ばなくちゃいけない
不自由はいつだって、ひとに、いや、いきもの全てに課せられているんだ
弱い存在なんだ、ひとは
儚い存在なんだ、いきものは
それでも、生きるんだ
人生の意味に想いを馳せ、探し続けながら
【手記】カルト宗教の二世
僕はカルトの家に生まれました。統一教会、今では別の名称を使っていますが、韓国から来た新興宗教です。合同結婚式というのが、90年代に社会問題となり、僕の両親もそこで初めて出逢い、結婚しました。その宗教結婚した夫婦から生まれてきたのが、僕や教会の二世たちです。
なぜ自分が生まれて来たのか。教祖が何千もの男女の写真を見て、相手を選び僕の両親は一緒になりました。
教祖によって決められた男女が、初見で出逢い結婚する。世間からは、その数だけでなく合同結婚式という儀式自体が異様に映ったと思います。
今では数千、数万を超す統一教会の二世たちが世界中にいますが、僕には、自分も含め彼らの誕生が、ただの偶然だったとも感じられます。
もし教祖が違う人を自分たちの両親の相手に選んでいたら、僕や二世たちは生まれてこなかった。だから、人生は不思議だと思うんです。
辛いこともたくさんありました。二世たちは「神の子」と呼ばれるのですが、僕は虐待を受けて育ちました。統一教会の教えでは、二世は神の子だから、親が信仰を持っていれば、神様が子供を勝手に育ててくれると教えます。子供よりも、教会の事を優先することが奨励され、ネグレクトがあたりまえのように行われます。
僕が父親に虐待された時、それを唯一救えた母親は助けてくれませんでした。それどころか「家庭を守る」という理由で、父親の暴力を隠し続けました。
それから僕が学校に行けなくなっても、虐待の事実を先生や教会の人には告げず、僕に原因があるとしました。父親はそもそも、僕を蹴りつけ、その後、数日間、僕が痛みで歩けなくなったことを覚えていません。
教会の親たちは、子供に問題が出ても「神の子」「二世」だから大丈夫だと考え、また問題の原因をサタン(悪魔)が神の子を攻撃するからだとします。両親の責任は問われないのです。
僕のように直接的な暴力を受けて育った子供が全てではありません。僕の妹は、僕のように虐待や不登校、高校中退などは経験していません。しかし、それでも、制限されることは多かったと思います。
統一教会の二世は「人を好き」になってはいけません。最初に人を好きになって良いのは、「祝福」つまり統一教会で言う結婚を受けた時だけです。
教会の教えには、聖書に出てくる最初の人間、アダムとエバが、サタンにそそのかされ、罪を犯したとあります。人間が犯した根源的な罪、それを原罪と言うのですが、その原罪とは、統一教会の解釈ではエバとサタンが性的な関係をもったことだと教えます。
そのような教義を本気で信じているので、異性関係はかなり制限されます。付き合うどころか、人を好きになることすらサタンの仕業と見なされ、誰かを好きになるなら二世は罪悪感に苛まれます。
精神的な自由はありませんでした。人を好きになることや、性的なものをタブーとされ、20年間近くを生きること、また不安定な家庭環境の中で、歪んだ教えに基づく生活は、僕の心をズタズタに引裂きました。
「生まれてこなければ良かった」そう思ったことも一度や二度ではありません。それでも、両親や宗教に感謝しなければならない状態でした。
僕も自ら望んでそのような家庭に生まれて来たのではありません。僕には夢がありました。少年期にやっていた野球を続け、いつかメジャーリーグに挑戦するという。しかしそれも、日曜日に教会に行けなくなるからという理由で、出来なくさせられました。その後も両親や教会の都合で、僕は自分の想いを諦めざるを得ない日々が続きました。
青春期には、もちろん、女の子を好きになりました。しかし、せっかく仲良くなっても、自分を抑えなければいけません。「自分は二世だから」そう言い聞かせ恋も諦めました。
僕は十代の頃、自分をカゴの中の鳥だと思っていました。その時は何がカゴなのかわかりませんでした。ただ呆然と心が自由でないことを感じていただけです。
しかし、今となっては、学校も、社会も、教会も、そして何よりも生まれてきた家庭それ自体が、僕を閉じ込め、自由を奪ってきた鳥カゴだと分かりました。
僕は自分を変えなければいけませんでした。言い訳地見て聞こえるかもしれませんが、僕は統一教会を辞めてから、ここ数年、自分の「優しさ」を捨てる努力をしてきました。「優しさ」を捨てるとはどういう事かと思うかもしれませんが、もし僕が親の想いを尊重し続けるほど優しかったら、教会の人たちの想いを尊重し続けれるほど想いやりがあったら、僕は自分を殺し、今でも両親や宗教の人形だったと思います。
これ以上、教会にいれば親を殺してしまう。そうでなければ自分が死んでしまう。それぐらいの想いで僕は親の信仰を捨て、それまで20年ほどを過ごしてきたコミュニティーを去りました。
僕は教会の外の世界の事を、ほとんど知りませんでした。不登校やその後のイジメ、高校中退などで一般の社会とも隔離され、10代の僕にとって頼れるものは統一教会のコミュニティーだけでした。そこでも、僕は随分と惨めな想いをしましたが、離れるまでにはかなりの時間が掛りました。
教会を去ってから、僕は少しずづ、人に迷惑をかけるようになりました。お酒を飲み横暴になったり、敢えて他人に反抗してみたり、バカなことを女の子に言ってみたり。しかし、正直どれも、とても怖かったです。
でも、そういった自己変革を、自ら行っていかなければ生きていけなかった。自分の中の「良い子」や「神の子」を殺さなければ、自分がこの社会や宗教に押し潰されてしまう。だから、大袈裟ではなく、自分の生存を懸け、自己変革を、今に至るまで続けてきました。
これは僕の闘いなんです。奇妙な場所に生まれてきてしまった、そして、ほとんど全てを奪われてしまった人生を取り戻す、命を懸けた闘争なんです。
完璧主義、、
「完璧主義」
これは僕を形容する言葉で、未完成なもの、整っていないものをあまり人に見せたくないんだ
書くこととか、何か発表するときとか、こりしょうで、どうもやり過ぎてしまう
一番いけないのは、結局、やり過ぎてしまって、途中で放棄することだ
こういうブログ、書くことすら、ひと目を気にしてなかなか気軽にできない
完璧主義に、今の自分の生きにくさがあるのかもしれない、、
「ガンバる」ことに対するアンチテーゼ
人生ガンバって生きてきました。でも何か、虚しいですね。もちろん報われたこともありますが、楽しいこと、思い出に残ったことはあまりないです。
「ガンバった」って言っても、ガンバらされた見たいな感じですし、ガンバっていないと存在意義が無いみたいだから、無理して、ケツ叩いて、走ってきた感じです。
だから、「ガンバる」ってことに、疑いの目を向けていますね、今は。。もちろん、本心でやりたいことやってるんだったらいいですが、そうじゃなかったら、あえて、惰性的にテキトーにやってみるのもいいんだと思います。
勇気いりますけどね、この日本社会じゃ笑
【短編】『長い旅立ちの前には』
私は世界を旅する彼からの葉書(ハガキ)を待っている。
彼からの葉書が届いた。バルト海の美しい港町が映し出されている。
彼は世界中を旅していて、街町のきれいだったり、めずらしい風景の葉書を送ってくれる。
数日に一回、時には数週間に一回、彼からの葉書が届く。だから、会えなくても、寂しいけれど、彼の想いを感じることができた。
彼は一度旅に出てしまうと、長い間帰ってこない。「世界の描写だったり、人のこころだったりを求め、理解するには、時間と孤独が必要なんだ」と良く語っていた。
バルト海の葉書には、あるおじいさんとおばあさんのことが書いてあった。
そして、めずらしく「愛している」と、葉書の最後に綴って。
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「愛している」
僕は、そう言って旅立つ時に、彼女に言うんだ。
僕はシャイだから、そんなに率直に、いつもは彼女に想いを伝えることはないんだけど、長い旅立ちの前には、次いつ会えるかわからないから、いや、もしかしたらもう会えなくなってしまうかもしれないから、僕は勇気を出して言うんだ。
一度旅に出ると、僕は数年、短くても半年は彼女のもとに帰らない。
僕は世界中を周って来た。常夏の太陽が照りつく南国も、極寒の氷河が迫る北国も、僕は、訪れる土地土地の事を、ノートに記し、出会う人々との、一言一言を胸に焼き付けていった。
「冒険」というには、もうこの地球は、人に歩き尽くされてしまったかもしれない。それでも僕は、人間の内面を知るために、様々な場所場所を巡り歩いていった。
あるとき、古い家に住む、老夫婦のところに泊まった。その家はバルト海に面した美しい港町沿いにあって、海の話をしている内に、僕はそのおじいさんの家に行くことになった。
おじいさんは、50年以上漁師をしている人で、変わりゆく時代の中で、変わることのない海や夕日を、長年、眺めていた。
おじいさんは寡黙な人で、自分のことは、あまりしゃべりたがらなかったけれど、なぜか、僕とおじいさんとは言葉以上につながりあうものがあった。
数日間、僕はその老夫婦の家に泊まり、その間、おじいさんの漁を手伝った。
別の町に旅立つ前日、僕とおじいさんが最後の漁を終えて帰ると、おばあさんが特別な料理を用意して待っていた。おじいさんが遠くへ行くとき、いつもつくるのだという。
料理を食べながら、おばあさんはある日の思い出を話してくれた。おじいさんが始めて、おばあさんに愛の言葉を伝えた日のことを。
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バルト海には季節の変わり目に、時折、大きな嵐が吹き荒れる。漁師の中には、突然の嵐に巻き込まれ、姿を消す者もいた。
おじいさんがまだ若い時、港によった異邦の船乗りが、海の上で姿を消した。他の漁師たちは、その者が嵐に巻き込まれて死んのだと話したが、おじいさんだけは、その異邦人が、どこかの島に流れ着いたかもしれないと言って、生きていることを信じた。
消えた船乗りを、探しに行こうとするおじいさんに、皆が反対し、若い日のおばあさんが歩み寄った。
なぜ、見も知らぬ人を助けに行くのかと、聴かれたおじいさんは、静かに「海の話をしたからだ」と答えた。
納得できず、黙っているおばあさんに対して、おじいさんは続けた
「愛している」と。
おばあさんは突然のことで驚いた。しかし、その言葉を聞いて、彼女は彼を待つ事を決めたのだった。
それからおじいさんは、十日以上、帰って来なかった。
数週間が経って、皆が絶望しはじめた日暮れ時、おじいさんと異邦人を乗せた舟が、暗くなってゆく港に辿り着いたのだった。
それからも、時代は流れ、多くの出来事があった。
しかし、国が荒れ戦争に行くとき、不漁が続き出稼ぎに出るとき、おじいさんは遠くへ行くとき、必ず「愛している」とおばあさんに告げるのだった。
僕はおばあさんの話を聞きながら、照れくさそうにしているおじいさんを見て、僕も旅立ちの前には、彼女に同じ言葉を伝えるのだと言った。
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彼からの葉書はこうして綴られていた。私はそれを読み終えると外に出て、夕日を眺めていた。その空は、彼が私に、愛の言葉を伝えてくれるときのように、恥ずかしそうに赤く、少しはにかんでいるように見えた。
「愛している」という彼の声が、私の耳元にそっと聞こえた。