Zannu blog

カルトを信じる親のもとに生まれ、虐待や不登校、イジメ、高校中退などを経験しました。現在、その宗教を辞め、自分の生き方を模索しています。その過程を書いていければと思っています。

【手記】カルト宗教の二世

 

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教祖・文鮮明(左)とその夫人・韓鶴子(右) 合同結婚式にて

僕は闘います 自分の運命と

 

僕はカルトの家に生まれました。統一教会、今では別の名称を使っていますが、韓国から来た新興宗教です。合同結婚式というのが、90年代に社会問題となり、僕の両親もそこで初めて出逢い、結婚しました。その宗教結婚した夫婦から生まれてきたのが、僕や教会の二世たちです。

 

なぜ自分が生まれて来たのか。教祖が何千もの男女の写真を見て、相手を選び僕の両親は一緒になりました。

 

教祖によって決められた男女が、初見で出逢い結婚する。世間からは、その数だけでなく合同結婚式という儀式自体が異様に映ったと思います。

 

今では数千、数万を超す統一教会の二世たちが世界中にいますが、僕には、自分も含め彼らの誕生が、ただの偶然だったとも感じられます。

 

もし教祖が違う人を自分たちの両親の相手に選んでいたら、僕や二世たちは生まれてこなかった。だから、人生は不思議だと思うんです。

 

辛いこともたくさんありました。二世たちは「神の子」と呼ばれるのですが、僕は虐待を受けて育ちました。統一教会の教えでは、二世は神の子だから、親が信仰を持っていれば、神様が子供を勝手に育ててくれると教えます。子供よりも、教会の事を優先することが奨励され、ネグレクトがあたりまえのように行われます。

 

僕が父親に虐待された時、それを唯一救えた母親は助けてくれませんでした。それどころか「家庭を守る」という理由で、父親の暴力を隠し続けました。

 

それから僕が学校に行けなくなっても、虐待の事実を先生や教会の人には告げず、僕に原因があるとしました。父親はそもそも、僕を蹴りつけ、その後、数日間、僕が痛みで歩けなくなったことを覚えていません。

 

教会の親たちは、子供に問題が出ても「神の子」「二世」だから大丈夫だと考え、また問題の原因をサタン(悪魔)が神の子を攻撃するからだとします。両親の責任は問われないのです。

 

僕のように直接的な暴力を受けて育った子供が全てではありません。僕の妹は、僕のように虐待や不登校、高校中退などは経験していません。しかし、それでも、制限されることは多かったと思います。

 

統一教会の二世は「人を好き」になってはいけません。最初に人を好きになって良いのは、「祝福」つまり統一教会で言う結婚を受けた時だけです。

 

教会の教えには、聖書に出てくる最初の人間、アダムとエバが、サタンにそそのかされ、罪を犯したとあります。人間が犯した根源的な罪、それを原罪と言うのですが、その原罪とは、統一教会の解釈ではエバとサタンが性的な関係をもったことだと教えます。

 

そのような教義を本気で信じているので、異性関係はかなり制限されます。付き合うどころか、人を好きになることすらサタンの仕業と見なされ、誰かを好きになるなら二世は罪悪感に苛まれます。

 

精神的な自由はありませんでした。人を好きになることや、性的なものをタブーとされ、20年間近くを生きること、また不安定な家庭環境の中で、歪んだ教えに基づく生活は、僕の心をズタズタに引裂きました。

 

「生まれてこなければ良かった」そう思ったことも一度や二度ではありません。それでも、両親や宗教に感謝しなければならない状態でした。

 

僕も自ら望んでそのような家庭に生まれて来たのではありません。僕には夢がありました。少年期にやっていた野球を続け、いつかメジャーリーグに挑戦するという。しかしそれも、日曜日に教会に行けなくなるからという理由で、出来なくさせられました。その後も両親や教会の都合で、僕は自分の想いを諦めざるを得ない日々が続きました。

 

青春期には、もちろん、女の子を好きになりました。しかし、せっかく仲良くなっても、自分を抑えなければいけません。「自分は二世だから」そう言い聞かせ恋も諦めました。

 

僕は十代の頃、自分をカゴの中の鳥だと思っていました。その時は何がカゴなのかわかりませんでした。ただ呆然と心が自由でないことを感じていただけです。

 

しかし、今となっては、学校も、社会も、教会も、そして何よりも生まれてきた家庭それ自体が、僕を閉じ込め、自由を奪ってきた鳥カゴだと分かりました。

 

僕は自分を変えなければいけませんでした。言い訳地見て聞こえるかもしれませんが、僕は統一教会を辞めてから、ここ数年、自分の「優しさ」を捨てる努力をしてきました。「優しさ」を捨てるとはどういう事かと思うかもしれませんが、もし僕が親の想いを尊重し続けるほど優しかったら、教会の人たちの想いを尊重し続けれるほど想いやりがあったら、僕は自分を殺し、今でも両親や宗教の人形だったと思います。

 

これ以上、教会にいれば親を殺してしまう。そうでなければ自分が死んでしまう。それぐらいの想いで僕は親の信仰を捨て、それまで20年ほどを過ごしてきたコミュニティーを去りました。

 

僕は教会の外の世界の事を、ほとんど知りませんでした。不登校やその後のイジメ、高校中退などで一般の社会とも隔離され、10代の僕にとって頼れるものは統一教会のコミュニティーだけでした。そこでも、僕は随分と惨めな想いをしましたが、離れるまでにはかなりの時間が掛りました。

 

教会を去ってから、僕は少しずづ、人に迷惑をかけるようになりました。お酒を飲み横暴になったり、敢えて他人に反抗してみたり、バカなことを女の子に言ってみたり。しかし、正直どれも、とても怖かったです。

 

でも、そういった自己変革を、自ら行っていかなければ生きていけなかった。自分の中の「良い子」や「神の子」を殺さなければ、自分がこの社会や宗教に押し潰されてしまう。だから、大袈裟ではなく、自分の生存を懸け、自己変革を、今に至るまで続けてきました。

 

これは僕の闘いなんです。奇妙な場所に生まれてきてしまった、そして、ほとんど全てを奪われてしまった人生を取り戻す、命を懸けた闘争なんです。